これまでの勤務の中で、
最も思い出に残っている
経験についてお聞かせください。

入社3日目にして1人でトラックに乗り、竹原・波方間のフェリーを使用して愛媛県の今治市や松山市に日帰りで行った時のことは今でも忘れられません。当時は携帯電話もカーナビゲーションもない時代。先輩の手書き地図を頼りにいざお客様のところへ向かったものの、道に迷ってしまったのです。さまよい続け、ようやく到着した時刻は、当初の予定を2時間も過ぎていました。

「初っぱなから、やってしまった!」と、冷や汗をかいたことを鮮明に覚えています。その後、経験を積み、違う道に進んでしまった時は勘が働くようになり、お客様にご迷惑をかけることはなくなりました。


取締役整備部長として、
どのような点を心がけていますか。

トラックが故障する前に、劣化箇所を早期発見し対処する予防整備に注力しています。例えばヘッドライトやウインカーが故障した場合、メーカーに部品を発注すると数日かかってしまいます。

しかし、運行は止められません。そのため、故障などのトラブルを未然に防ぐことが重要になるのですが、約80台あるトラックの状態をすべて把握するのは至難の業。そこで鍵となるのが、トラックに一番接している乗務員さんの気づきです。エンジン音がおかしい、ブレーキの効き方に違和感がある、などの発見に幾度となく助けられました。今後も乗務員さんと連携を取り合い、整備強化に努めたいと思います。


プライベートについて伺います。
休日は何をして過ごしていますか。

バイクに乗るのが大好きで、天気が良い日は島根県や山口県まで出かけています。バイクの免許は昔から持っていたわけではなく、50歳の時に取得しました。そのきっかけを与えてくれたのは、娘婿です。「バイクの免許を取りに行くから」と誘われ、おもしろそうだと思い、私、娘婿、その弟と友人の4人で取りに行くことに。そしてある時、娘が自動車学校の受付表を見つけました。「危ないから、やめて」と止められるのかと思っていたら、何と「どうして皆だけで行くの?私も行く!」と言い出したのです。結果、皆で自動車学校に通うことになりました。


50歳での新しい挑戦。
当時の心境を教えていただけますか。

挑戦するのはおもしろそうだと心が躍ったと同時に、「人から教えてもらう立場」になるのは良い経験になりそうだと思いました。会社では、人から指導を受ける機会というのは年々減っていき、部下ができれば今度は指導する側になります。だからこそ新鮮でした。また、人への指導の仕方を改めて学べ、トラックの整備や運行の仕方を指導する際に役立てています。このような観点から、何歳になっても挑戦は大事だと感じました。


今後の目標をお願いします。

私は10年以上運転手として勤務した後、2000年(平成12年)から整備管理者として配車などの業務を行い、現場の方々のバックアップをする側になりました。現場と内勤の両方の業務を通じて培ってきた知識や経験を生かし、滞りなく運行できるよう、今後もサポート役に徹していきたいと考えています。また、スムーズに運行できれば、お客様からの信頼が厚くなり、会社の評判が上がる要因にもなります。志和貨物自動車は東広島市の運送業者の中では一番。そう思い、ゆくゆくは広島県内でトップを走れるように業務に励む所存です。

日々の運行に支障が出ないよう、トラックの状態に鋭く目を光らせる平嶋さん。志和貨物自動車の発展に力を尽くす、その活躍ぶりから目が離せません。